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- プロフィール -


黒田輝彦略歴

●1944年:東京生まれ。
●62年:都立石神井高校卒業

●66年~73年:
瀬川順一キャメラマンに師事。主にCMやPR・短編映画で撮影助手を務める。
その後、(株)藤プロダクション(現在の(株)自由工房:代表:工藤充プロデューサー、奥さんは羽田澄子監督)に入社。映画の作り方の基礎を学ぶ。
2年ほど在籍しフリーに。鈴木達夫キャメラマンに師事し次の作品で撮影助手として働く。
藤田敏八監督「赤い鳥逃げた?」。
篠田正浩総監督・公式記録映画「札幌冬期五輪」篠田班。
篠田正浩監督「卑弥呼」など。

●74年:CM・「ロッテ・クランキーチョコレート・草刈正雄編」のキャメラマンとして一本立ち。しかし、オイルショックのせいか仕事が急激に少なくなる。

●75年:7月より翌年6月迄、まとまった資金を作るため静岡県旧戸田村の遠洋カツオ一本釣り船・第3新造丸(434トン)で甲板員として1年間(7航海)働く。
主な漁場:トラック諸島沖(現・チューク諸島。西太平洋、カロリン諸島の島)。
航海中、夜のワッチでベタ凪の海面に映る満天の星の感動、昼飯では食べ放題のカツオの刺身、そして夕方、操業が終わり船尾で缶ビールを傾けながらベテラン漁師の経験話しを聴くなど、 海の男に魅力を感じ映画を作ることを決める。

●76年:9月より翌年7月迄、より稼ぎの良い遠洋マグロ船・第17新造丸(402トン)に社内転船して甲板員として働く。
操業回数178回。対象魚:メバチマグロ。主な漁場:パナマ沖からペルー沖。
この航海の稼ぎで16ミリキャメラとフィルム購入。

●77年:9月より翌年7月迄、同じマグロ船で出漁し乗組員全員の同意を得て、甲板員として働きながら16ミリキャメラを回す。
操業回数186回。補給地:パナマ(バルボア)。洋上補給・黒貝丸。

●79年:第一作目の自主製作記録映画「ザ・サカナマン」(80分)完成。 以後、太平洋側の主な漁港・漁村で漁師の家族を対象に巡回上映。上映回数140回。観客数14,708名。

●82年:11月から12月迄、三重県尾鷲市三木浦の遠洋カツオ一本釣り船・第2慶福丸(434トン)に撮影目的で乗船させてもらう。
漁場:マーシャル諸島沖。水揚げ273トン。寄港地:マーシャル諸島のマジュロ島。

●83年:自主製作記録映画二作目「ナブラ」(60分)完成。
再び各漁港・漁村で巡回上映。上映回数94回。観客数;11,186名。この活動中、鹿児島県枕崎市の田代市長と知り合う。  

●84年:2月、「ナブラ」の短縮版「赤道直下の一本釣り」(30分)を完成。
文部省選定を受け16ミリフィルムが各地の水産高校や研究機関などで利用される。

●87年:2月から一年間、高知県旧佐賀町の近海カツオ一本釣り船・第8太安丸(59トン)で、半人前の給料で働きながら撮影。
主な寄港地:御前崎(静岡県)、長井(神奈川)、船形(千葉)、那珂湊(茨城)、中ノ作(福島)、塩釜・石巻・気仙沼(宮城)など。

●88年:自主製作記録映画4作目の「翔べ!カツオ鳥」(76分)完成。 各地の漁港・漁村で巡回上映。上映回数32回。観客数3,921名。岩手県大槌町では上映組織を作ってもらう。

●89年:5月から6月迄、初めての委託製作映画を鹿児島県枕崎市より受注し、遠洋カツオ一本釣り船・第2協洋丸(499トン)に乗船し撮影。
東沖漁場でビンナガマグロを50トン釣り、その後南下しナウル共和国沖でカツオを満船にして帰港。
「赤道直下の一本釣り(枕崎版)」(46分)、「枕崎の遠洋カツオ一本釣り」(12分) 、「B-1かつお」(9分)、「枕崎のかつおぶし」(10分)を完成。

●2010年6月より、「まぐろ土佐船」(小学館文庫)で第7回小学館ノンフィクション大賞を受賞した斎藤健次氏と、 斎藤氏が乗船した室戸の遠洋まぐろ船・第36合栄丸の元漁撈長山田勝利氏の2人より寄せられた80時間余りのビデオテープを、友人の釜田千秋監督に編集を依頼し「吼える40度線」(71分)を2011年1月に完成させる。  




















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